FEATURE / 特集 PEOPLE SPECIAL01

overriders #01

HISTORY

栗原社長

2009年年末、10周年を迎えたoverride。そして2010年5月、フラッグシップショップの「明治通り店」がリニューアルオープン。「帽子をメジャーに」という現社長 栗原亮の想いのもと1999年キャットストリートに一号店をオープンさせた。ショップ設立への経緯と、ブランドの成り立ちを、1922年に創業した株式会社栗原の歴史と、栗原亮の半生、帽子を取り巻く時代背景から探っていくシリーズ「HISTORY」。


「ミッションは、帽子をメジャーにすること。」

原宿キャットストリートにoverride1号店誕生。

大学卒業後、私が就職したのは大手のアパレルメーカーでした。元々、栗原を継ぐはずではなかったんですが、父から突然電話が来て「おまえ継げ」って言われたんです。アパレルメーカーでの仕事も始めたばかりだったので、2年くらいは断っていたんですが、結局継ぐ事に決めて、その会社を退職しました。

退職する時に、会社の上司や同僚は私の将来を心配してくれました。「帽子で一生食べていけるのか?考え直せ。」って。この時に、改めて感じたのが帽子屋という職業のマイナーさとコンプレックスのようなもの。栗原に入社し、2,3年後に結婚をするんですが、挨拶に行った時に妻の両親に、また同じようなことを言われて、社長の息子の僕が、こんな風に言われるということは栗原で働いてきた社員の人達は、僕が小さい頃からずっと帽子屋という職業を認めてもらえずに来たのかもしれないって思ったんです。その時に、自分の力で、帽子と帽子屋という職業をもっとメジャーにしなければならないって使命感を持ちました。 当時の会社の方針発表会で「メジャーへの挑戦」という内容で「今はまだマイナーだけど栗原という会社と帽子というものをメジャーにするのが僕のミッションです。」って宣言していました。

その発言を実現させたいって思いがoverrideを始めた理由のひとつ。フラッグショップを持つ事はトレンドをキャッチする意味もあったんですが、根底にはもっと帽子をメジャーにしたいという想いがありましたね。お店を持つ事で消費者との接点が近くなり、もっと帽子の事や栗原という会社のことをアピールできると思ったんです。それで、作ったのが原宿のキャットストリートの店舗。だから当時は多店舗化するなんて考えていなくて、あの店舗が維持していければいいかなって程度でした。それが2年くらい苦労して続けたら、お客さんが増えて販売も軌道に乗ってきました。

それを見た、会長の父が本社がある大阪にも立派な店舗が必要だって言い出して南堀江に大きな店舗を借りてきたんです。上下で80坪くらいの大きなお店でしたが、これも繁盛して、色々なデベロッパーさんから出店依頼が来るようになりました。それがきっかけになり、栗原は卸だけではなくフラッグショップや自社ブランドを通じて帽子を発信していく企業に変わっていきます。 オープン当初のoverrideは、私としても会社としても遊び心が一杯でした。いまは新しいお店を作る時って、システムをどうするとか品番管理をどうするとかを話し合うんですが、最初はノウハウも無いのでみんなで値札を書いて「4,800円くらいかな」とか、その場で決めちゃうこともありました。店長が休みの時は私が店番をして、子どもをキャットストリートで遊ばせていました。そうすると近くの店の人とか、スケボーをやっているお兄ちゃんとかが子どもの面倒見てくれたりしてね。従業員も少なかったんで、すごく家族的でした。今は店舗も増えて、なかなか当時と同じようには行かないんですけど、やっぱり店舗に行くと会社は家族だなって思うんです。私は、一年で100回以上は店舗に足を運ぼうと思っていて、行った回数とか行った店舗をリスト管理しているんですよ。あの店ができてから、10年も経ったんだなと私自身では長い歴史みたいに思う事もあります。でも栗原ができてからの時間を考えると、まだ10/88。栗原の小売店としてもミルサができた年から数えて10/33だから、まだまだなのかもしれません。10年は良い区切りだけど、イチロー選手が2000本安打の時に言っていた様に「通過地点」と考えて、それもゴールに近い通過地点じゃなくてスタートに近い10年と考えてもっと突っ走っていかなければと思います。もう10年もやったんだって満足したら、次から新しいことができないしね。まだ10年と思えば先は、まだまだチャレンジできて帽子に対して、もっと投げかけができると思います。



栗原社長

ハッピーハットカンパニー」お客さんも働いている人も帽子を通じて幸せになる会社

overrideという名前ですが、実は店名として考えた物じゃないんです。そのころ栗原は会社としても壁にぶつかっていて、インターネットを使ったビジネスも普及し始めていたり、ちょうど世紀の代わり目だったり、色々な意味の転換期で、新しい設備やシステムだけでなく、人間も変わらなきゃいけないという想いがあったんです。いい意味で、アナログからデジタルになる様な。特に栗原は歴史の長い会社だから古い習慣や考え方も残っていて、転換のためには乗り越えなきゃならない壁が高かったんです。会社が一丸になって時代の転換期を乗り越えていくって意味で「override」。はじめはスローガン的な意味だったんです。

私は、過去の延長線上に未来は無いって思うんです。今は過去があるからだけど、未来は今の延長線上に作ろうとすると出来なくて、過去の人達が常にリニューアルしようとした結果、今がある。延長線上を保とうしていたら、いまの栗原という会社は、きっとないんじゃないですかね。何かをチェンジしてきたから今があって、それをやめたら未来はない。それがoverrideって言葉なのかな。それを全員が分かって仕事をしないと栗原のoverrideの未来は無いんじゃないかと思います。

そして今、僕らは「ハッピーハットカンパニー」というスローガンを持っています。帽子を通じて人を幸せにして、それによって我々が生かしてもらうって考え方です。栗原で働いていること自体で人生がハッピーになってほしいし、買ってもらったお客さんも、かわいいねとか似合ってるねって言われるとか、帽子があるおかげで日焼けしなかったとか熱中症にならなかったとか何かそういうことで幸せになってもらいたいんです。物を売る会社ではあるけれど、その行為は売上のためにあるんじゃなくて、買った人も自分も帽子を通じて幸せになる、そういう会社なんだと働く社員には心に持ち続けてほしいと思います。帽子好きじゃないけど給料取るために働こうって気持ちだったら来てほしくない。管理部門とか帽子を触ることは無い職種でも、やっぱり帽子を通じて幸せに生活しているって認識してもらいたいんです。私の場合は帽子屋に生まれたから帽子を買って貰ったお金で、ご飯を食べたり、学校に行ったりできたんです。だからそれを今度は、帽子を通じて恩返しをしなきゃいけないんですよね。社員みんなが帽子で育ってきたわけじゃないけど、その人達の子どもや家族は、帽子を通じて生活しているから、きっと僕と同じなんですよね。

そうやって10年続けて来たoverrideですが、メジャーへの挑戦は、まだまだ続いてます。10年前よりは、帽子の認知は上がってますが、まだ無くてもいいって思ってる人がいることがメジャーになれていない証拠です。例えば、靴って誰もが必要としていますよね。一足でもダメでしょ。仕事やプライベートや運動とかTPOに併せて何足か必要。 でも帽子ってまだそこまで行ってないんですよね。そういう意味で、まだまだメジャーになりきれていないんです。いつか、栗原とoverrideを通じて帽子が、靴に負けないくらいメジャーになる。それが、設立当初から続いている、まだoverrideしきれていない目標ですね。

次回「override世界へ」に続く